琵琶溜井分水工

全 景
(右岸側)

概要

 万治3年(1660年)伊奈半左衛門忠克は、利根川の本川俣(現在の羽生市)に圦樋を造り、幸手領用水が開かれた。川口(現在の加須市)に分水圦樋を設けて北側用水に分水し、本流は古利根川を利用して上高野(現在の幸手市)に導水し琵琶溜井に貯水され、中郷、南側両用水を引き、残水を古利根川に落とした。(葛西用水路の原型完成)
その後、宝永元年(1704年)の大洪水によって、庄内領内の中島用水路が埋没したため、その対策として享保4年(1719年)には上川俣に新圦樋を設けて幸手領用水を増強して川口、琵琶溜井両溜井の圦樋を増設し、松伏溜井、瓦曽根溜井、亀有溜井にまで送水した。(葛西用水路の成立)
近代になり、昭和15年(1940年)県営葛西用水路幹線改良事業が着工、昭和37年(1962年)琵琶溜井は、比例分水堰に改修され江戸時代より続いたと推測される幸手領3日、下流7日の番水制が廃止された。
また、昭和47年(1973年)〜昭和48年に農業用水合理化対策事業が着工、昭和62年(1987年)堰の一部改修工事を実施、併せて幸手領農業用水総合管理所(幸手市戸島地内)にて、監視・制御を行うこととなった。
 更に、平成4年(1992年)国営利根中央地区農業用水再編対策事業が着工、平成14年(2002年)現在のものに改修された。

本川ゲート(下流より)